ブルーシフト

大学院生の幸せな日々:日記、雑記、読書録

臭気

・研究

ここ最近は実験がうまくいかないのでへにょへにょになっている。

 

・日記 

この間舞い上がっていた合コンも5VS5の予定から2VS2に縮小し、益々心が縮こまる。

そして何を隠そうこの4人の中で既にひと組のカップルができている(勿論筆者ではない)。

そのためこの合コンはもはやお見合いなのである。よもや合コン処女喪失前にお見合い処女を捧げることになろうとは。

だがしかし私はこういった「仕組まれていたように起こるトラブル」によって引き起こされる出会いには、運命的な何かを感じるたちなので、1度は落ち込んだもののテンションが上がってきた。俺はやるぞやるぞやるぞ。

 

さて、そんな合コン(お見合い)に先駆け、女性耐性皆無の筆者は先日人生初のクラブに行ってきた。EDMは結構好きなので「音楽を聴く」一点では楽しめた。頭振るの楽しすぎる。

デヴィッド・ゲッタあたりの有名どころ楽曲が多く、にわかな自分でも楽しめた。それと「韓国系のEDMって全然聴かないけどいいな」などと思った。

 

「女性と仲良くなる」点においては今回クラブに連れて行ってくれた商社マンの後ろでコソコソしているだけで終わった。爆音凄まじく会話するだけでもゲーセン以上の接近が必要なので女性と喋るだけでドキドキしてしまったし、外国人に話しかけられるも「何喋ってんのか二重で分からん」という事態に直面して心臓に悪い。

それとあぁいった場では本当に圧倒的な力が必要なんだなと悲しくなった。それは顔面であったり 、肩書きであったり、お金であったり、コミュ力であったりだ。外見は中身の一番外側であるなぁ。

商社マンの出身大学を聞いてはしゃいでいた女性に私も大学を聞かれたのだが、素直に答えると一瞬で興味を無くされてしまい非常に悲しい気持ちになった。冷たい人間は・・・怖い。

商社マンにナンパを誘われクラブ滞在中に五度ほど行った。コレも人生初である。あとこれも心臓に悪い。

殆ど全て商社マンに任せていたのだが、それでも知らん女性にいきなり話しかける姿にヒヤヒヤしたし、逆にヤツが(爆音で何喋ってんのかは聞こえないが)連絡先を交換する手練手管には舌を巻いた。初対面の人間にまずなんて話しかけてんだよお前はよ。魅了(チャーム)の魔法でも持ってんのか?教えてくれ。

途中で疲れ、踊り場から離れたところで1人ビールを飲んでいると、たまたま1人で突っ立ってる女性を見かけたので一度だけ「俺もなんかせんと…」という意味分からん心情に支配され、声をかけてみたのだが雑談を数分間行うだけで終了した。ムリ。

 

ナンパでひとつだけ明確に不満だったことがある。商社マンがはじめにどういう流れを作ったのかは知らんが、ゲイバーを探す女さんたちに直面した時の話だ。今思えばナンパを巻く手段だったのかもしれない。しかしそんなことでは商社マンは折れない。その女さんたちに筆者が安いゲイバーに詳しいと紹介され、咄嗟に「ここら辺はあんまり来ないから分かんないなー、新宿二丁目の方面に結構あるよ」などと月曜から夜ふかし仕入れた真実を交えた嘘をつかされたのだ。商社マンと女さんたちから「へー…」と好奇と引きの混濁した目線を浴び、嘘をつくという罪悪感に囚われる。百歩譲って女さんたちは良いとして商社マンお前。お前は嘘つくの知ってるだろ何引いてんねん。なんやねん。

 

というわけで今回の件で分かったことがある。商社マンはクソ嘘つきであるし、クラブは音楽を楽しむところである。以上。

そういえば相席屋に一緒に行った某人間も嘘をつきまくっていた。成り上がるためには必要なスキルなんだろうか,ハハ。

 

.就活

半月ほど前にTwitter早漏就活終わりましたアピールをしていたが、つい先日にようやく第一志望の企業から最終面接の案内が届いた。就活終わったアピールをしていた手前、半ばドキドキしていたのだ、本当に良かった。

(一部を除いて)どの企業も経団連の取り決め(正式な面接は6月以降)なんぞまもりゃしないので、意思確認だけで終わることの多い最終面接は学生たちに「握手会」とか呼ばれてるぞ。ええんか。

まぁそもそも人生に節目に期日があり、なんらかに縛られること自体がおかしいのかもしれない。

 

ではまた。

全速前進

5月半ば,寒暖差がひどい.

 

5月の前半には様々なことがあった.

 

具体的には脈のない女性に突撃して振られたり,就活が終わったり,よくわからん街コンで意味の分からんブスしかいなかったりだ.

 

振られたことに関しては数日喚いていたが,今ではだいぶ落ち着いたように思う.以前の惨敗たちに比べると随分と傷は浅い.これは悪い意味でのストーリーが浅かったり,脈がないと分かっていたから,といったことが大きいだろう.その子との共通の趣味を10日ほど触ることができなかったが,本日未明に久々に行うこともできた.

 

あぁそれと,就活が「ほぼ」終わった.Twitterでは報告した記憶があるが,こちらではまだだったので一応.「ほぼ」と言うのも,少し色々とややこしい状況であるからなのだが,大人の事情で割愛する.

これで弊研の学生はすべて就活を終えたことになる.皆優秀だ.内定先も強さを感じる企業ばかりなので素晴らしいなと思う.他研の人たちの話を聞くと技術職や研究職は勿論のこと,理系院からでも教師だったり,放送局であったり,商社だったり,コンサルだったり,ベンチャーだったりと,非常に多くの人生選択が存在するのだなと感じる.ドクター進学も数名知り合いにいる,(生まれ育った環境を度外視して)同じ環境下で生きているはずなのにこんなにも皆がみな異なる希望なのか,と非常に面白く思う.

社会人になることは楽しみである.私にとっての大学院は鬱屈としている.楽しみがないわけではない,研究がうまくいかない訳でもない,しかし(やはり),非凡な,そしてマイノリティな環境下では楽しめない性分なのだろう.当たり前が当たり前に存在する環境が好みであり,一般に「変わってるね」だとか言われる環境は肌に合わない.というか何より貧乏が過ぎる.そう,貧乏がすぎる(大切).

 

街コンでは無駄な時間を過ごした.学生ばかりだったので,就活についてかなり聞かれた.こちらも一切食指が動かなかったため,ただの先輩としての役割を果たし,当たり障りのない会話で終始一貫した.その日はそれなりに楽しかったとも言えるが研究がそれどころではなかったので無駄だと思う時間が多くなってしまった.

なお次の日に行ったメイドカフェは相も変わらぬ光を放っていた.あぁ^~

 

そんな私を憐れんでか,研究室の同期O氏が合コンを開いてくれるそうである.相手の陣営は年上ばかりだそうだ.これにはかなり興奮している自分がいる.

なぜならば!私が合コンなるものに参加するのが初めてであり,結構向こうが乗り気という情報をつかんでいるからだ.信頼たるO氏が企画する会である.信頼できるA氏と仲のいい女さんの友人たちの信頼度が高いのは当たり前と言えよう(ほんまか?).「理系男 合コン 嫌い」を検索エンジンに放り込み,女さんたちの生態を綿密にリサーチする目にも熱がこもる.

 

周りの人間に風邪気味の人が多い.みなさまもお体にお気をつけて.

ではまた.

ポエマー

さて、先日のブログでは例に漏れず私の中のポエマーが暴れまくったってワケ。

 

・日記

慣れない場所での行動は奇異に映ることが多いように思う。

 

このあいだ、話のプロであるところの芸人がコンパにおいてテレビノリをしまくってダメ出しを食らいまくる,という番組を見たのだが、のちに指摘された点のうち

 

①話の振り方が雑

②面接してるみたい

③ノリが悪い(求められているものに対して正論を振りかざしすぎ)

が印象に残った(自分に言われているのかのごとく傷ついたので)。

 

現在自分の周りには当然大学院生が多く、その割合は6割以上であろう。

しかしながら世間から見たら大学院生は1%にも満たない異端な群であるのだから、普通の「場」に出て「話が合わない」、となればこちらがオカシイことがほとんどだ。

 

中でも良くないのが、①と同類ともいえる、筆者が「ADHD話法」と呼ぶ話し方である。

この話法?とは、話のテンポを極限まで良くするために主語を抜かして話すことである。

いわゆる「ツーカーの仲」みたいなものである。すなわち、同じ背景、同じ環境下にいる人間ほどこの話法が通じる。

この話法については毎度おなじみicmrくんと反省会を開いたことがあり、特に教授に多く見られるアスペ(失礼!)との会話では主語を抜かすと偉い目に合う。

そのほかにも想像性が欠如していると言わざるを得ない鳥頭(失礼でない)にもこのショートカットが通じない。

すなわち1から10まで筋道立てて話さなければならないのだ。

 

少し調べたところ、この「主語無し会話」と「1から10まで会話」の二つは「ADHD話法」や「アスペ話法」などという、触れるものみなを傷つけるネーミングではなかった。

この二つは「高文脈文化:high-context cultures」「低文脈文化:low-context cultures」に分類されるらしい。

うーん、誰も傷つけない良い言葉だわね。

 

更には

「なお、「高」「低」という用語が用いられているが、どちらか一方が他方より優れている、劣っているということを表すものではない。」

 とさえ書いてあった。見習わんといかんでホンマ、なぁicmr。

 

ハイコンテクストな会話では裏の意図や空気的なものも読み取る必要があり、ローコンテクストな会話では示された言葉をハッキリと理解することが求められる。

例えるならば前者が小説問題の「このときの登場人物の気持ちをこたえよ」で後者が評論問題の「論述として正しいものはどれか」だろうか。余談だが日本語はハイコンテクスト文化らしいぞ。

 

更に大学院生という名のはじかれ者は日々の議論,プレゼン,発表などで効率的な「ローコンテクスト」までをも鍛え続けているのだからたちが悪い。

これは②の「面接みたい」に当たるのだろう。

必要情報だけを求めてしまうのだ。

 

こうして我々一般的大学院生は世間に社会不適合者の烙印を押されるのである・・・。

と、いうことで、話すときに効率を求めすぎることは大抵の場合マイナスなのである。

 

ハイ次③。

番組内では芸人が女さんに

「芸人さんのダメよダメダメが見てみた~い」

などと言われ、

「こういう場でやるもんじゃないし他の人のネタだから・・・」

と断る場面があった。

女さんは別にそんな正論を望んでいるのではなく、ましてや居酒屋で行われる「ダメよダメダメ」が面白いとも思っていないらしい(ならなぜ振るのだと考えてはいけない)。

「芸人」という生物にノリでやってほしいだけなのだ!すべってもいいのだ!

 

・・・こうして見ると世の中では一般的に非効率性が求められているようにさえ思う(飽きたので締めに入ります)。

しかしこれは逆に、「非効率」ではなく「楽」が求められているだけであり、言い換えるならば「頑張りすぎる」ではなく「落ち着く」を求められている,すなわち自然界の物理でも見られる全体の系として安定しようとする、ある種非常に「効率的」な真理的コミュニケーションなのである。Q.E.D.

 

絶対に場所場所で求められるピエロを演じまくろうな。

ではまた。