ブルーシフト

大学院生の幸せな日々

臨界

人が死んだ。

  6月に入り、低気圧の日々が続いている。自分はこの低気圧に体調をタコ殴りにされてしまう人間なので、大分陰鬱な気分だ。追い打ちをかけるように、大学で自殺があったという噂を聞いた。死とはどんな感情を持つと生まれてくるのだろうか?知り合いにも沢山の「死にたい人間」がいる気がする。大なり小なりの死を自身の内にみんな抱えているのだろうか。僕は今生きたいという気持ちしかないが、最後に死にたかったのはいつだろう、と考えてみると案外思い出せないものだ。辛いことは多々あるが、本当に世の中に絶望したのは…小学4年生の時だろうか。ドラマ顔負けのいじめが横行しており、学級崩壊もあった。メインターゲットはひまわり学級に属しはしないものの…といった弱い人間である。そしていじめの主犯者K(もっとも、その弱い人間に対してはクラス全体で行っていたようなものだが)は好き放題気に食わないやつも同時間軸でいじめており、僕などはKの意中の人間と仲が良かったので「あいつの好きな人は誰だ」と随分殴られた記憶がある。その後も色んな「いじめ」を受けていた気がするので、まぁ「弱い側の人間」だったのだろう。同窓会でKに「凄く男前になったな、今は何をしているんだ?」と一言だけ声をかけると、バツの悪そうな顔をしていたのには笑えた。特に恨みもないが賢く力もある人間だと思うので、悔いることくらいはしているのかもしれない。

小学4年の当時、どのようにどんな経緯で死にたくなったのかは覚えていないのが残念で仕方がない。日記にでも残しておくんだったと最近になって思う。特別な経験には違いないのだから。

 話が逸れたが、死というのは中々に近いようで遠い。どんなことを思って死んだのか、その自殺者に聞いてみたいものだ。いじめくらいなら書き残したり、伝えることはできる。しかし、誰も教えてくれない「死」はどんなものなのだろう。ちょっと気になりませんか?死んで何がしたかったんだろうか、何を伝えたかったんだろうか、と思う。大学の同期の人間には「学内で死ぬなよ樹海で勝手に死んでくれ」という人もいたが(まぁ概ね同意はする)、何か伝えたかったのならソレも大いに結構ではないか、と個人的には少々思っている。大学一回生のころ、藤村操の遺書を読んだ時からそう考えるようになった。特に伝えたいこともなくしょーもない理由で死んだのならほんと止めてくれと思う。自身の価値観に沿って自殺を選んだのだろうから止めたところで、、、とは思うが・・・。

 

 さて、死に比べたら軽いもの(?)だが、研究室は臨界点を迎えている。研究してない院生達、そしてそもそも来ない学部生にDrのパイセンがしょんぼりだ。うちのラボは基本的にコアタイム(いなきゃいけない時間?)が存在しない。進捗報告で結果さえ提示できればいい。といったスタンスなのだが、そのスタイルだと当然さぼる人間も増える。そうなると当然「勉強、研究を進める人間との差」「モチベ、ひいては研究室全体の環境」「やる気があって”周りにもそれを求める”人間が現れる」「Drのパイセンと良く喋る僕に飛び火、愚痴が来る」等、まだまだあるがいろんな問題を抱えることになる。特に大事な部分は太字にしておいた。基本僕は9-24時でラボにいて、まぁ院試の勉強を行っているわけで決してさぼってはいないつもりなのだが、教授やDrに前々から「研究もしなよ」みたいな空気をビシビシ浴びせられてきた。最近まではそれで済んでいたのに、今日は遂に

「羊燻君さぁ、昼ずっといないよね」

と嫌味っぽい口調で言われてしまった。確かに昼~夕方にかけて散歩や長めの昼食をとるので1日の内3時間程は研究室にいない。ただそれを考えても1日10時間は研究室にいると思うんですけど…その…。ただ、言ってることは正しいし研究も全然進んでいないので結構ショックを受けてしまった。もうちょい頑張るかぁ…。

「いや、今のは気にしないで・・・。」みたいなことをそのあと付け加えていたので、随分とイラついていらっしゃるご様子である。自分は研究室の空気とかやらない人間とか人との差とかはどうでもいいが、個人的に普通に心配です。

 

書くこともないのでおわり。

ではまた。