ブルーシフト

大学院生の幸せな日々:日記、雑記、読書録

月の光

・日記

 最近なんだか不幸スパイラルに陥っている気がしてならない。しかし、そこで落ちぶれてしまっては不幸の思うつぼであり、更なる悪循環を生み出すことは往々にしてままある。奴らは病原菌である。私は不幸と困難が異なると考えるたちであるから、不幸から脱却することと、困難を穿つこともそれぞれで対処が異なる。

 対策を講ずるにも相手を知らなくてはならないわけであるが、そもそも不幸とは何であろうか、と考えたとき、対義語に幸福があるとは言い難い(とてもそうは思えない)。明らかにフィフティフィフティの関係ではなく、絶対値も寿命も不幸の方が大きい。幸福とは束の間であると言った人間は星の数ほどもいるだろうし、自分もそれに同意する。

 不幸は心の持ちようによって様相を大きく変える。試練と言う言葉は便利で、ソレを自身に課せられた、超えるべき壁であると認識すればたちまち気分が楽になる。また、ちょっとしたことに対して「自分はこういう星の元に生まれているから・・・」と一種の諦め、悟りを見せれば、幾分か気分が紛れるであろう。逆にもうダメだ、なんで自分ばかり、あいつのせいで、等と精神を病んでしまえば不幸は増殖し、さらに飲み込む。

ところで結局不幸をどう処理すればいいのか、そもそもどうすれば不幸と出会わないか?・・・等は考えても仕方がない事が多い。「不幸すぎるなアイツ」ぐらいに客観視していると、個人的には楽になる。だがその原因が自身に拠るところであるならば自省を行うべきであるなぁと思う。自省を行うとナイーブになりがちではあるが、原因や道筋がはっきりとするだけでも消化が速いようにも思う。あぁ、楽しい事について考えることもいいのかもしれない。現実逃避のなれの果てみたいな存在にならなければよいが。自分の当たり前を形作る、忘れがちではあるが恵まれた環境自体に感謝を行い始めると幸せな気持ちになれるかもしれない。私はしない。初めに言ったように幸せであるから不幸でないという訳では無いので。

 ここまで殴り書いて気分が紛れたのでこの話は終わる。文章化による精神の安定が出来る人間でよかった。ちゃんちゃん。

 

・研究

 どうやらテーマが変わる気配が出ている。

 先日、ボスに精神論を説かれた。「大抵、困難が目の前に存在し、逃げることは許されずそれをどうしてもこなさないといけない場合、それをいやだいやだと考えていてはいつまで経ってもいやだというままである。しかし、それに興味を持つこと、興味を持つこと自体難しい事も多いのだが・・・そういった視点で見てみると、どこかに光が存在する。その光を凝視し、また、広げていくことで周りにも光が存在することが分かる。そうする事を続けると、困難はいつの間にか自身を成長させるし、それを楽しくやり遂げることができる。」

 理解はできるし確かに一理ある。そういった場面に出くわしたこともある。しかしながら同時に典型的な無茶を試練に転じて自分のためであると言い聞かせる方便であるとも思った。ただ、今の自分はこれにすがる事しかできないことも同時に分からされた。その説法を通して教授がその信念で私たちに立ち向かっていると気が付いてしまったからだ。

 「時間は作るもの」「データがすべて」「やらなければ始まらない」「日々積み重ねる」どれもボスの好きな言葉で、彼は実際にこれらをこなす。凡人である私にはとてもじゃないがその哲学に沿って生き続けることは出来ない。全ての時間を研究に捧げることは無理であるし、時間が空いたらだらけたい。データを示すにしてもまとめる力と根気、時間が必要である。やらなければと思うようなことは大体したくない。日々の積み重ねを意識することは同時に時間と気力を大きく削ぐ。だが、今は、その言葉たちに少しでもそぐうように努力をすべきであるし、目指すべきであるとも思う。そう思わないとやってられない。くそくらえ。

 

ではまた。