ブルーシフト

大学院生の幸せな日々:日記、雑記、読書録

ポエマー

さて、先日のブログでは例に漏れず私の中のポエマーが暴れまくったってワケ。

 

・日記

慣れない場所での行動は奇異に映ることが多いように思う。

 

このあいだ、話のプロであるところの芸人がコンパにおいてテレビノリをしまくってダメ出しを食らいまくる,という番組を見たのだが、のちに指摘された点のうち

 

①話の振り方が雑

②面接してるみたい

③ノリが悪い(求められているものに対して正論を振りかざしすぎ)

が印象に残った(自分に言われているのかのごとく傷ついたので)。

 

現在自分の周りには当然大学院生が多く、その割合は6割以上であろう。

しかしながら世間から見たら大学院生は1%にも満たない異端な群であるのだから、普通の「場」に出て「話が合わない」、となればこちらがオカシイことがほとんどだ。

 

中でも良くないのが、①と同類ともいえる、筆者が「ADHD話法」と呼ぶ話し方である。

この話法?とは、話のテンポを極限まで良くするために主語を抜かして話すことである。

いわゆる「ツーカーの仲」みたいなものである。すなわち、同じ背景、同じ環境下にいる人間ほどこの話法が通じる。

この話法については毎度おなじみicmrくんと反省会を開いたことがあり、特に教授に多く見られるアスペ(失礼!)との会話では主語を抜かすと偉い目に合う。

そのほかにも想像性が欠如していると言わざるを得ない鳥頭(失礼でない)にもこのショートカットが通じない。

すなわち1から10まで筋道立てて話さなければならないのだ。

 

少し調べたところ、この「主語無し会話」と「1から10まで会話」の二つは「ADHD話法」や「アスペ話法」などという、触れるものみなを傷つけるネーミングではなかった。

この二つは「高文脈文化:high-context cultures」「低文脈文化:low-context cultures」に分類されるらしい。

うーん、誰も傷つけない良い言葉だわね。

 

更には

「なお、「高」「低」という用語が用いられているが、どちらか一方が他方より優れている、劣っているということを表すものではない。」

 とさえ書いてあった。見習わんといかんでホンマ、なぁicmr。

 

ハイコンテクストな会話では裏の意図や空気的なものも読み取る必要があり、ローコンテクストな会話では示された言葉をハッキリと理解することが求められる。

例えるならば前者が小説問題の「このときの登場人物の気持ちをこたえよ」で後者が評論問題の「論述として正しいものはどれか」だろうか。余談だが日本語はハイコンテクスト文化らしいぞ。

 

更に大学院生という名のはじかれ者は日々の議論,プレゼン,発表などで効率的な「ローコンテクスト」までをも鍛え続けているのだからたちが悪い。

これは②の「面接みたい」に当たるのだろう。

必要情報だけを求めてしまうのだ。

 

こうして我々一般的大学院生は世間に社会不適合者の烙印を押されるのである・・・。

と、いうことで、話すときに効率を求めすぎることは大抵の場合マイナスなのである。

 

ハイ次③。

番組内では芸人が女さんに

「芸人さんのダメよダメダメが見てみた~い」

などと言われ、

「こういう場でやるもんじゃないし他の人のネタだから・・・」

と断る場面があった。

女さんは別にそんな正論を望んでいるのではなく、ましてや居酒屋で行われる「ダメよダメダメ」が面白いとも思っていないらしい(ならなぜ振るのだと考えてはいけない)。

「芸人」という生物にノリでやってほしいだけなのだ!すべってもいいのだ!

 

・・・こうして見ると世の中では一般的に非効率性が求められているようにさえ思う(飽きたので締めに入ります)。

しかしこれは逆に、「非効率」ではなく「楽」が求められているだけであり、言い換えるならば「頑張りすぎる」ではなく「落ち着く」を求められている,すなわち自然界の物理でも見られる全体の系として安定しようとする、ある種非常に「効率的」な真理的コミュニケーションなのである。Q.E.D.

 

絶対に場所場所で求められるピエロを演じまくろうな。

ではまた。